『アインシュタイン相対性理論の誕生』


プロローグ―アインシュタイン26歳、奇跡の年

 

 アインシュタインが三大業績を発表した1905年から、100年目を迎えようとしつつある。2005年は、このほかアインシュタイン没後50年にもあたっており、世界各地でいろいろな催しが開かれることになろう。というのも、この三大業績は、近代物理学を現代物理学へと転換させた、まさにそのきっかけをつくった文字通り画期的な出来事だったからである。

今日、IT革命やDNA関連技術(バイオテクノロジーやヒトゲノム計画など)が、しばしば取り沙汰される。これらの技術は、現代物理学なしには本来あり得なかったものだ。20世紀以来、人類の生活を一変させた驚くべき技術の発展は、実はアインシュタインの三大業績に起源があると言ってもけっして言いすぎではない。まさに、1905年こそは「奇跡の年」だったのである。

当時、弱冠26歳の若者であったアインシュタインは、この年の3月から6月までの間に、立て続けに4つの論文を発表した。三大業績というのはそのうちの3つのことであり、その三大業績の最後を飾ったのが特殊相対性理論なのである。本書で取り上げる相対性理論は、1905年6月に発表されたこの特殊相対性理論に始まっている。

ところが、当時のアインシュタインは一介の特許局技師にすぎず、物理学研究に没頭できたのは、一日8時間の勤務時間外の時間でしかなかったのだ。いったいぜんたいどうして、この26歳の若者には、三大業績を成し遂げるなどということができたのだろうか?「それはアインシュタインが天才だったから」というのでは、何を答えたことにもなっていない。それは単に結果を言い表したにすぎず、原因を述べるものではないからだ。以前、アインシュタインの死後、彼の脳みそを一所懸命研究した人がいたが、特に変わったところは何も見出せなかったという。

本書は、アインシュタインに三大業績や相対性理論の構築を可能にさせたものは何だったのかを探る試みである。私はそれを、当時の物理学の状況、アインシュタインが親しんだ物理学者たちの理論や科学思想、特に彼らの研究の蓄積(研究伝統)、あるいはアインシュタインが置かれた社会的環境の中に求める。後者の社会的環境の中には、アインシュタインが生まれ育った家庭環境・教育環境のほか、特に当時の産業技術の状況が含まれる。さらに、彼を取り巻く教授・友人・恋人、結婚・職場などもその中には含まれている。

私がアインシュタインや相対性理論について聞き知ったのは、10代もかなり早い時期にまでさかのぼる。画家であった私の父は、空間の歪みとか四次元時空とかがいたく気に入ってしまったようだ。物理学の素養は皆無であったにもかかわらず、アインシュタインとインフェルトの共著『物理学はいかに創られたか』(岩波書店、1939)を読んで、私にいろいろと講釈してくれた。1922年にアインシュタインが来日したことも手伝い、当時の一般の人々にとって、アインシュタインについて取り沙汰するのはごく当たり前のことだったようだ。

高校生になってから、私もその本を読んでみた。そして、これは確かに面白いと思った。気がつくと、私は大学の理学部物理学科や関連の大学院へと進んでいた。しかしながら、そこで私が見出したものは、トマス・クーンが言うところの通常科学、すなわち単純なルーチン・ワークとしての科学研究であるにすぎなかった。

しだいに私は、20世紀初頭のような胸躍らせる革命期の物理学へのノスタルジーを募らせていった。そしてその想いは、私に『歴史をたどる物理学』(東京教学社、1981)という教科書を執筆させることとなった。アインシュタイン1905年の三大業績相互の間にどんな関連性があったのか、と疑問を抱いたのはこの教科書の執筆途上においてだった。私が尊敬する科学史家、故広重徹氏などは、これらをまったく独立の3つの業績として描いていたのである(『物理学史』培風館、1968)

そこで、その機会に、アインシュタインが1905年までにどんな論文を書いていたのか調べてみた。当時私たちが翻訳を進めていたトマス・クーン『科学革命における本質的緊張』(みすず書房、1987、再版1998)の「自伝的序文」には、「テキストには多くの読み方があって、現代人にとってもっとも近づきやすい読み方は、過去に適用されると往々にして不適切である」と書いてある。この言葉に従い、私はそれらの論文と三大業績を、できるだけ当時の立場にたって読んでみようと試みた。そうしてたどりついたのが、本書の初めの方で述べる最初の6つの論文と三大業績との関係の解釈である。

それ以来、約20年間、私はアインシュタインを研究し続けてきた。その結果として、従来のアインシュタインや相対性理論の理解とは全然違う、全く新しい解釈へたどりつくことができたと思っている。そこに立ち現れるのは、空想の世界で抽象的な思索に耽る哲人アインシュタインという従来のイメージとは正反対の、極めて具体的かつ現実的に考えるアインシュタインの姿である。読者は、カメラマンに向かって舌を出している彼のひょうきんな写真をご存知でしょう。私がたどりついたのは、気さくで親しみやすい、この写真の姿によく合致するアインシュタインの姿なのだ。

このような私の研究の経過と結果について、以下の本文で述べてゆくとしよう。物理学的内容については、できるだけ噛み砕いて解説するつもりでいる。

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